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Column コラム

海外発!日替わりリレーブログ ワールドサッカー通信局
鈴木 達朗
ドイツ

ドイツ通信
~Probieren wir mal!~
(とりあえず、一緒にやってみよう!)

鈴木 達朗
宮城県出身。中学生からサッカーを始め、大学1年まで競技を続ける。サッカークラブも無い町で、一人でストライカーなどの雑誌を読んでは友人に薦め、「サッカーマニア」と呼ばれる少年時代を過ごす。中学では、クラブチームに所属。小学校で全国大会に出た選手たちを目の当たりにして、早々に挫折。頭を切り替えて、選手時代からコーチの目線で過ごす。学者になるつもりで渡った先のベルリンで、たまたま試合に誘われたクラブから、コーチになることを頼まれて、指導者になる。二足のわらじで大学も卒業し、現在に至る。タイトルは練習中に発する自分の口癖から取ったもの。
Webサイト:http://www.tatsurosuzuki.com/

ドイツ

■インタビュー:ユリア・ハース(Julia Haß)さん
(ベルリン自由大学民族学博士課程専攻)前編

2015.09.15

モイン(おはようございます)、みなさん。サッカーに関して大学で研究するとしたら、どんな分野を考えますか? スポーツ科学や経営学はよく知られていますね。今回は、小学生の高学年や中学生、あるいは高校生のみなさんが、これからサッカーを通して研究できるようになるひとつのヒントとなるお話をしましょう。

インタビューに答えてくれたのは、民俗学を研究しているユリア・ハースさんです。

それでは、見ていきましょう。

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(インタビューに答えてくれたユリア・ハースさん)

――ハロー、ユリア。時間を取ってくれてありがとう。さっそくだけど、日本だと、サッカーに関してスポーツ科学のようなサッカー競技に関わるような分野以外にも経営に関するような研究はよく知られるようになってきたんだけれど…

ユリア マーケティングの世界でもサッカーに関して新しいやり方ができたりしているの?

――まあ、もちろん、そういうのもあると思うんだけれど、文化学や社会学のような分野でもサッカーに関して研究できるということは、あんまり知られてないと思うんだよね。それで、仮にサッカーが好きな今の10代の若い人たちが大学に行くようになって、何をしたらいいのかわからない、というようなときに、サッカーについていろんな分野で研究できるんだ、ということがわかれば、だいぶ勇気が出ると思うんだ。それで、そういう小学校5年生から中学3年生ぐらいの人たちに、こういうサッカーとの関わり方もあるんだよ、ということを見せたい、というのが今回のテーマなんだ。

ユリア ああ、なるほど。

――まずは、なんでサッカーが研究テーマになったのか、という話をしようか。ユリア自身のことも知りたいしね。そもそも、サッカーが好きになった理由はなんだったの?

ユリア 手短かにいうと、サッカーというテーマは個人的に、ずっと興味があって、子どものときからサッカーはずっと好きで、本格的に、というわけではないけれど、継続的にボールを蹴ったりはしていました。父がヘルタ(ベルリン)ファンで、スタジアムに連れてくれていったのも大きな理由かな。それで、7,8歳のころからサッカーの世界には触れていました。

――家族みんなで?

ユリア 家族のときもあったし、父の友人とその家族も一緒に。父とその友人は1960年代からヘルタファンだから。そう、ルールとかはよくわかってなかったけれど、サッカーのスタジアムは安心できる場所で、どんなところかっていうのは身近に感じてわかっていました。

それで、大学に関していえば、まずは文化学からはじめました。そうして、もっと社会学的な方向に興味が移って、人類学に移りました。私はずっと社会的なテーマに関心を寄せていました。他の社会ではどのようなことが起きているのかに、興味があったのです。

――「社会的」というのは、社会的なコンフリクト(対立)や社会問題といった具体的なものを指すのかな?

ユリア うーん、私のテーマに限っていえば、社会的なコンフリクトもそのうちのひとつに入りますね。でも、それだけでもありません。ずっと移民に関して興味がありました。人間が異なる世界にやってきたときに、どうやってその世界とうまくやっていくのか、その社会の人々が彼らにどう反応するのか……。そうして社会の間に生まれるコンフリクト、緊張感が生じるところ、社会が変換して行くプロセス、社会の中で何か新しいものができていくようなところを見ていくことに興味がひかれます。

そうしてサッカー研究テーマになったのは、大学院に入って、修士課程で中南米のラテン・アメリカ圏に集中するようになってからですね。もともとは、テーマとしてベルリンのラテン・アメリカからやってきた移民の人々について調べようとしていたんだけれど、その過程で偶然サッカーがテーマになったのです。というのも、研究のためのインタビューの中で、偶然、ベルリンにあるラテン・アメリカの人々だけで構成されたサッカークラブの会長と話すことがあったからです。

――へえ、そんなクラブがあるの?

ユリア そう。名前はクラブ・デポルティボ・ラティーノ(Club Deportivo Latino)といいます。それは、授業のプログラムの一環だったんだけれど、それで、このクラブについて研究するレポートを書くアイデアが浮かんだのです。ドイツにやって来た移民の人々、ラテン・アメリカ圏の人々で、さらにサッカークラブ、という条件が揃って、これは面白いな、と思って。「ベルリンのレティーノのクラブ」と自分たちでも呼んでいて、ラテン・アメリカのシンボルがついたユニフォームを着て、みんながスペイン語を話しているクラブでした。興味深いのは、そこの人々はみんながラテン・アメリカというアイデンティティに誇りを持っていたことです。それで、ブラジルのサッカーについて多く語っていました。彼らはブラジルのサッカーに自分たちのサッカーを重ね合わせていたのです。”ジョガ・ボニート(美しくプレーする)”という言葉が流行ったように、彼らは、ドイツ人やトルコ人のクラブとは違った、ラテン・アメリカのサッカーをしようとしていました。

――そこでブラジル人はプレーしているの?

ユリア いやあ、実はブラジル人はいなくて(笑)。(スペイン語圏の人たち?)そう。スペイン語圏の人たちだけ。そういったなかで、ブラジルのサッカーが彼らの中で大きな意味を持っているのはとても面白いな、と思って。彼らはペルーやチリといった中南米の国々に、スペインからのひとたちも混じっているけれど、ラテン・アメリカのサッカーというと、ブラジルのサッカーについて話すんですよ。

――つまり、ラテン・アメリカからドイツに来た移民の人々にとっては、ブラジルのサッカーが自分たちのサッカーを代表している……。

ユリア そう、そのとおり。もちろん、それだけではないけれど、ラテン・アメリカのサッカーという「イメージ」を構成している最も大きな要素が、ブラジルのサッカーということになりますね。

――それは面白いな。スペイン語圏だと、アルゼンチンは長年のライバルだし、チリは今年のコパ・アメリカにも優勝しているよね。

ユリア まあ、チリは最近に強くなりだしたけれど、アルゼンチンは長年のライバルですよね。そう、……それで、その「ブラジルサッカー」というイメージにすごく興味が出てきて。ベルリンに住んでいるラテン・アメリカの色んな国から来た人たちが口をそろえてブラジルのサッカーについて話すという……。そのイメージだったり、いわゆる「神話」だったり……。その点に興味が湧いてきて。で、修士過程のプログラムで6週間ブラジルに行ける奨学金があって、そのチャンスをもらったんです。それが2012年の夏で。修士論文はそのブラジルサッカーというイメージについて書くことにしました。そのシンボリックな意味についてですね。

仮にドイツで「ブラジル」のイメージについて話すとすれば、「カーニバル」、「海辺」そして「サッカー」が主なものとなります。ヨーロッパでプレーしているブラジルから来た選手は、すでに「ブラジル」というブランドを背負っていることになります。その「ブラジル」という記号を研究したいな、と思ったんです。

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(インタビューが行われたベルリンの国立図書館のフロア)

――その研究はうまく行ったの?

ユリア うまくいったけれど、最初に考えていたものとは違ったものになりました。私がブラジルのリオにいたときは、現地のアマチュアのサッカーの試合を見ながら、その参加者たちと話をしました。興味深いのは、そこでプレーしている人々にとっては、私が聞かされていた美しくテクニカルな「ブラジルのサッカー」というイメージは何の意味も持っていないということでした。インタビューをしてみても、「なんだそれは」という感じでした。

そんなとき、あるアマチュアトーナメントを見に行きました。そこでは、さまざまな階層の人々が同時に大会に参加していました。通常、ブラジルは貧富の差が激しく、裕福な階層と底辺の貧困層との接点はほとんどないんです。でも、その大会ではその街で最も裕福な地区のチームも、ファベーラ(ブラジルのスラム街にあたる)の地区のチームも同時に参加していました。日常生活では全く接点がない人々が、サッカーのトーナメントという場に集まるのです。とても面白い現象だと思いました。週末、土曜と日曜に開催されて、4つのリーグが同時にプレーしていました。そこには、社会的階層の多様性がありました。そこで、ブラジル社会の中で経済的不平等と性別による不平等におけるアマチュアサッカーの役割をテーマにすることにしたのです。

――女性は日常生活でも不利益を被ることが多いの?

ユリア まあ、それはどこにでもありますね。ドイツでも、女性の給与は一般的に見て、男性より少ないですし。そういうのもありますし、もっと多くのものを抱えてますね。セクシズムはかなり強いですしね。

――カトリックというか、南ヨーロッパや中南米はセクシズムが強いイメージがあるけど……。

ユリア ああ、宗教との関係は考えていなかったので、正確にはなんともいえませんけど…。

――昨日、たまたま、そういうところから来ている友だちとそういう話をしていて、スペインとかポルトガルとか含めてね。セクシズムもそうだけど、レイシズムなんかも南のカトリック圏のほうが酷いかなあ、なんて話になったんだよね。宗教と相関関係があるのかもわからないけれど、保守的な傾向はあるし、そうなんじゃないかなあ、という話になったんだ。

ユリア うーん。でも、まあヨーロッパの各地域に人種差別はありますし、やっぱり帝国主義の時代の名残は未だに抜けていないですよね。ヨーロッパもそうだし、日本もそうでしたけど、やっぱり、一度、どこかを支配した、という感覚、その地域の人々よりも優れているという感覚もその時代から切り離せないですし……。まあ、それはともかく、性別の違いによる不平等は、社会の階層を分ける中で大きな役割を果たしていると思います。

――そのトーナメントは男性だけの大会だったんだよね?

ユリア そうですね。それで、だんだんテーマが変わっていくんですよね。はじめの疑問は、社会のなかの経済的な階層について。そこでインタビューした人たちは、「僕らはサッカーをしに来ているんだ、プレー中にお金なんかなんの意味もないだろ。ピッチ上ではみんな同じ人間だ」というようなことを頻繁に聞きました。「サッカーのプレー中ではみんな同じ人間だ」というね。お金があんまりない人々が、裕福層の人々と同じピッチ上で試合をして、終わったら帰っていく。

少なくとも、アマチュアサッカーのピッチ上では同じ人間だというなら、女の人はどうだろう、アマチュアサッカーのなかで、女性はどうなんだろう、という疑問が湧いてきたんです。それで、インタビューした人たちに、誰かサッカーをプレーする女性を知っているか聞いてみたんです。そうしたら、誰も知らなくて。「リオではサッカーをする女の人なんていないよ、たぶん、サンパウロや南のほうならいるんじゃないかな」というのが彼らの答えでした。

それで、いろいろ聞きまわって、結局インターネットでサイトを見つけたんです。唯一、リオで女子サッカーを運営している団体があって、コンタクトを取りました。そうして、その団体の会長と一緒にいた選手とリオの女子サッカーについて話をしました。彼女は、6歳からプレーしていて、今は19歳で、いつかプロフェッショナルの経験をしてみたいといっていました。その話し合いは、とても興味深い話が多く、新しい視点を持つことができましセントラオ・ド・フッチボル・フェミニーノ・ド・リオデジャネイロ(CUFF-RJ)た。その団体は2012年に一度解散して、新しく作られました。という名前になっていると思います。それで、この2つのテーマについて修士論文を書いて、今は博士論文でブラジルの女子サッカーについて調べているところです。

――なるほど、じゃあ、修士論文のひとまずの結論はどういうものになったの?

ユリア まず、テーマは先にいったように、ブラジル社会の不平等に関して、サッカーとの関係はどうなっているのか、というものでした。そこから、いろいろ調べて得た結論は……、まず、ブラジルのサッカーに関する「歴史=物語(Geschichte)」について調べました。そうすると、「サッカーではみんなが平等だ」というディスコース(歴史や社会の背景や文脈が見つけ出せるように書かれたもの、文章のなかの言葉)が非常に多く、それらがすでに20世紀の前半には一般的に定着していることがわかりました。

そこでの私が出した結論は「アマチュアサッカーという場は、さまざま出自を持つ人々が同時に同じように参加できる機会を提供する場だということ。そして、その平等な参加の機会の場はサッカーという『ゲーム』のなかにのみ限定されているということ」。観察していると、異なる階層の人々は試合の場でこそ接点を持ちますが、試合が終わると、それぞれのグループはほとんど互いにコンタクトを取ろうとはしません。つまり、ここでいう「サッカーにおける平等」というのは、それによって社会の各階層が共に入り混じって共同生活をしていくというようなものではありません。それに加えて、ここにおける「サッカーにおける平等」という言葉のなかには、女性の存在が含意されていません。長い間、使われてきたサッカーの文脈のなかでの「平等」という言葉は、今のところ実際には男性のみに適用されていることになります。サッカーをプレーする女性ももちろんいますが、見つけるのはそれほど簡単ではありません。

――同じ街の中にも、いろんな異なる世界に分断されているんだね。

ユリア そう、ドイツもそうでした。男の子は自然とサッカーをするものだと思われていますし、女の子がプレーしようとすると、「女の子にサッカーなんかできるわけない」と偏見を持たれたりしていましたし。だから、女の子は自分の能力をプレーの中で証明しなければなりませんでした。女の子でも、男子と同じレベルでできることを見せなければなりませんでした。親も、女の子がサッカーをするのを嫌がっていましたし。「サッカーは女の子には危ない」というようなステレオタイプはどこにでもありました。

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今回はここまでです。とても長くなってしまいましたね。次回はユリアさんが見たブラジルサッカーの様子と、いわゆる大学で勉強する「学術的」とは何か、という話です。それでは、チャオチャオ!

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