最近のコラム

2016年9月12日
境界線を越えて(後編)


2016年9月5日
境界線を越えて(前編)


2016年8月3日
ユーロ2016終了(後編)


2016年8月3日
ユーロ2016終了(前編)


2016年3月8日
インタビュー:マーロン・ベントさん 後編


2016年2月25日
インタビュー:マーロン・ベントさん 前編


2015年9月15日
インタビュー:ユリア・ハースさん 後編


2015年9月15日
インタビュー:ユリア・ハースさん 前編


2015年7月29日
テクニックとは何を指すのか?


2015年5月29日
パウル・セグイン選手インタビュー(後編)


2015年5月27日
パウル・セグイン選手インタビュー(中編)


2015年5月25日
パウル・セグイン選手インタビュー(前編)


2015年4月22日
フォーメーションの組み立て方(後編)


2015年3月23日
フォーメーションの組み立て方(中編)


2015年3月10日
フォーメーションの組み立て方(前編)


2015年2月17日
システムの歴史


2015年1月9日
サッカーコートとフットサルの関係


2014年12月8日
トレーニングにおけるグリッドの作り方


トップコラムワールドサッカー通信局>ドイツ通信  ~Probieren wir mal!(とりあえず、一緒にやってみよう!)~ パウル・セグイン選手(20歳:VfLボルフスブルク、ドイツU-20代表候補)インタビュー(前編)

Column コラム

海外発!日替わりリレーブログ ワールドサッカー通信局
鈴木 達朗
ドイツ

ドイツ通信
~Probieren wir mal!~
(とりあえず、一緒にやってみよう!)

鈴木 達朗
宮城県出身。中学生からサッカーを始め、大学1年まで競技を続ける。サッカークラブも無い町で、一人でストライカーなどの雑誌を読んでは友人に薦め、「サッカーマニア」と呼ばれる少年時代を過ごす。中学では、クラブチームに所属。小学校で全国大会に出た選手たちを目の当たりにして、早々に挫折。頭を切り替えて、選手時代からコーチの目線で過ごす。学者になるつもりで渡った先のベルリンで、たまたま試合に誘われたクラブから、コーチになることを頼まれて、指導者になる。二足のわらじで大学も卒業し、現在に至る。タイトルは練習中に発する自分の口癖から取ったもの。
Webサイト:http://www.tatsurosuzuki.com/

ドイツ

■パウル・セグイン選手(20歳:VfLボルフスブルク、ドイツU-20代表候補)
インタビュー(前編)

2015.05.25

みなさん、モイン! 前回まではフォーメーションの組み立て方を見てきましたね。今回は、実際にドイツでプレーするドイツ人の選手がどのようなことを考えているのかを見ていきましょう。

今回インタビューに答えてくれた選手は、ボルフスブルクに所属するパウル・セグイン選手です。U-19のカテゴリーが終わり、プロ契約を結んでトップチームとU-23(4部)のチームを掛け持ちしながらプレーしている若手選手です。

今回はセグイン選手がプロになるまで、そしてブンデスリーガ1部のトップチームと下部組織の違いについてです。それでは見ていきましょう。

img_01
(Paul Seguin/パウル・セグイン選手。写真提供:VfL Wolfsburg)

――今日はこのインタビューのために時間を取ってくれてありがとう。”Sie(あなた)”(ジー・敬語)で話したほうがいいですか、それとも”Du(きみ)”(普通の話し言葉)で話したほうがいい?

パウル・セグイン もちろん、”Du”でいいですよ。

――今日はストライカーDXというサッカー雑誌の取材できていて、それで、パウルのプロになるまでの道のりを振り返っていこうと思うんだ。パウルは2007年にボルフスブルクに入団して、昨年プロ契約を結んだんだよね?(パウル、うなずく)じゃあ、まずは少年時代から振り返っていこうか。ボルフスブルクに入団したいきさつは?

パウル 12歳のときにシュテンダールというVfLと提携を結んでいるクラブから移籍したんだ。ボルフスブルクのスタッフがやって来て、シュテンダールの選手たちをトレーニングしていて、その中で、僕のプレーが目にとまった、ということだったかな。それで、テストマッチのためにボルフスブルクまで行ったんだけれど、そこで一度コンタクトが途切れてしまったんだ。その試合では出来が良くなくて、スピードについていけなかったんだ。ところが、また後日電話がかかってきて、もう一度テストしたい、という話になった。それで、もう一度テストマッチに参加して、僕のプレーを見て、契約してくれたんだ。――そうして、ここに来たんだよ。

――そうして、2007年からここにいるんだね。

パウル そう、そのとおり。2007年からね。

――2007年からボルフスブルクでプレーしてきて、これまでいろんなカテゴリーを経験してきたわけだけれど、これまでに特別な影響を受けたコーチっている?

パウル うーん、それは……。良い人もいたし、そうでもない人もいたし・・・。まあ、言ってしまえば、僕が好きだったコーチは、その仕事ぶりに僕も納得できていたコーチかな。

――じゃあ、キミがケガしたとき(額の骨折)。それはキミがトップチームでプレーできるかもしれない大きなチャンスの直前だったよね。そのとき、キミはクラブの広報誌のインタビューの中で「まあ、また良い準備をして、次のチャンスを待つだけだ」と言っている。それはものすごく落ち着いた経験豊富な大人の発言だと思うんだ。それで、これまでのキャリアの中で、パウル自身、多くの訓練をさまざまなコーチの下で積んできたんだと思ったんだよね。

パウル うーん……。いや、そんなことはないかな。僕がケガをしたときは、タイミングも悪くて時間の問題もあったけれど……。でも、まあ、僕はずっとそうだったし、それがサッカーだしね。もし、なにかしら障害にぶつかったら、それを乗り越えないといけない。

――当時のチームメイトとはまだコンタクトを取っているの?

パウル どの?

――例えば、Cユーゲント(C-Jugend:15歳未満)のころの選手とかは?

パウル ああ、もちろん、まだ連絡を取り合っているよ。例えば、今はハンブルクでプレーしているヤツだったり、いろんなところでつながっているよ。何かしらイベントがあるようなら、ときどき会ったりするね。

――何か、好んでよく思い出すような、特別な思い出や経験ってある? チームでの遠征だったり、リーグ戦での優勝だったり……。

パウル うーん……。まあ、一番の成功といえるのはやっぱりAユーゲント(A-Jugend:19歳未満)のときの全国優勝かな。うん、それが今のところ一番かな。素晴らしい経験だったし、誇りに思ってもいいと思うんだ。

――そういった成功をしてきてプロの契約を勝ち取ったわけだけれど、そうして、3チームを経験したわけだよね。U-19、 U-23、そしてプロのトップチーム。その間には大きな差がある?

パウル もちろん。それぞれの間にある差がそこまで大きくなければ良いんだけれどね……(笑)。今いるU-23とトップチームの話をするなら、差はとんでもなく大きいよ。当たり前だけど、ものすごく大きな差だね。でも、そのレベルにもだいぶ慣れてきたと思うよ。

――その違いについて、詳しく説明できるかな? 例えばだけれど、U-23はU-19に比べて、身体的に激しいプレーが増えたり、トップチームはそれに加えて技術的に洗練されているとか、そういう違いはある?

パウル えーっと、そうだな……。頭の中をずっと速くしないといけない。ピッチ上で、自分がどこにいて、何をすべきか、というオリエンテーションをする時間があんまりないんだ。それに、ブンデスリーガの対戦相手は、より自陣深くにポジションを取るね。U-23がプレーするレギオナルリーガ(4部)では、そういうことは、とても珍しい。そして、試合のテンポは、U-23やU-19に比べて、とにかく速いね。うん、速いんだ。

――じゃあ、契約書を目の前にしたとき、どんなことを思った? 「ついにここまで来たぞ、やり遂げたぞ」、それとも「さあ、これからだ」という気持ちかな?

パウル いや。もちろん、ブンデスリーガでプレーできる契約書をもらったときは、とても誇らしかった。だけど、まあ、さあ、これからだ……、うん、そうだね。僕は、まだまだ成長しなければならないし、これまで全力を尽くしてきたように、これからも全力を尽くしていかないとね。でも、その瞬間はやっぱり、誇らしかったかな。

今回は、ここまでです。あまり話すのが得意そうではない印象でしたが、それでも、いろいろと思い出しながら話してくれました。次回は実際にプロ選手となってからの経験や下部組織時代の生活リズムについての話です。

それでは、チャオチャオ!

次のコラム←

ワールドサッカー通信局トップへ →前のコラム

ストライカーDX トップ マッチレポート コラム トピックス セレクション/スクール バックナンバー ムック リンク