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Column コラム

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西村 亮太
メキシコ

メキシコ通信
~Querer es Poder~
(意志あるところに道は拓ける)

西村 亮太
大阪府出身。筑波大学大学院にてコーチング学を修了し、2010年8月にメキシコへ。
Cruz Azulでの研修後、CFPachucaの支部にてU-16監督を務める。その後Cruz Azulに選抜スクールのU-12監督、U17,U20にキーパーコーチ兼アシスタントコーチとして在籍。2014-15シーズンより同国のSantos LagunaにU17,20アシスタントコーチ兼分析担当として移籍し、15-16シーズンより同クラブ保有のメキシコ3部所属チームSantos Laguna Premierの第2監督となる。メキシコサッカー協会公認ライセンス-レベル4(日本でいうS級)を2013年12月に取得。

メキシコ

■Copa Chivas(コパチーバス)から見る“日本”と世界の『差』と『違い』③

2014.3.12

みなさんこんにちは。

今回も前回のコラムに引き続き、コパチーバスにて感じた“日本のチーム”について書きたいと思います。今回は本大会の試合中に見られた現象から、僕が感じた“日本サッカー”の課題について書きたいと思います。

キーワードは『判断』と『決断』です。

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まず僕はこの『判断』と『決断』を、これからのコラムの中で以下のように定義づけします。

『判断』→状況に応じて“最善な”プレーを選ぶこと。
この『判断』は、ほとんどの場合がチームの哲学やプレーモデルに基づいて行われる。チームの哲学やプレーモデルが明確、またはそれらを選手が体得していないと『判断』の基準がないので、“チーム”としてよさを最大限発揮するのは難しい。

『決断』→選手自身が『判断』にて選び取ったプレーを、自分の意思にて行うことをはっきりと“決定する”こと。
プレーを決定する際のプロセスである「認知・判断・実行」において、判断と実行の間に位置し「認知・『判断』・『決断』・実行」とする。

以上の定義づけを踏まえた上で、僕は“日本のチーム”は『判断』と『決断』という部分について改善の余地があると感じました。

試合を通して個人、チームとしての『判断』するための明確な基準と、それを実行に移すための『決断』が、プレー決定のプロセスにおいて非常に曖昧なものであるように感じてしまい、“なんとなく”プレーしているような印象を強く受けたのです。プレー決定のプロセスを見ると『判断』のあとに『決断』があります。ということは『判断』が明確でないと、その後に続く『決断』も必然的に迷いのあるものになってしまいます。

ここでいう『判断』は、基本的に過去の記憶をもとに下されます。ここでの過去の記憶というのは、日ごろのトレーニングや毎週末の試合における『判断』を下す経験の積み重ねです。そこで積み重ねられた経験が『判断』を下す瞬間にその基準となるものだと僕は考えます。また同じように『決断』に関しても、日ごろから『決断』をしているかどうかが、その瞬間に『決断』できるかどうかに大きく関与するものだと僕は思います。

僕が『決断』において特に大切だと思うのは、“常識的”には“正解”と見なされ得ないことのある選択肢を、置かれている状況次第では『判断』にて選択し、強く『決断』して実行することができるかということです。ピッチでプレーする各選手はこの「権利」と「自由」、そして「必要性」を持っており、それには「責任」が伴うものだと思います。

僕がメキシコサッカーを見ていて感じるのは、例え『判断』において“正解”でないプレーを選択したとしても、それに対する『決断』がものすごく強いということです。それを象徴するように、指導者もコーチングの中で「?Con decisi?n!(決然として!)」という言葉をよく使います。

メキシコでは、「そこはパス」とか「そこは遅らせる」というサッカーの“セオリー”とも受け取れるような場面にて、その“セオリー”に反してドリブルで仕掛けたりボールを奪いに行ったりする『判断』と『決断』をよく目にします。そのようなときに限って、不思議と局面を打開できたり、ボールを奪えたりします。そのようなプレーを見ていつも「よくそのプレーをすることを『決断』したなー」と感心させられるのです。

もちろん失敗することもあります。なぜなら“正解”ではない『判断』なのですから。しかし、その失敗の後のプレー、ボールを失ったなら奪い返しに、相手にかわされたのであれば追いかけるときの気迫は鬼気迫るものがあります。そこに「責任」を意識したうえでの「自由」のもとに『決断』していることが見てうかがえます。

その姿勢が強すぎるあまりにファウルしてしまうことも多いのですが、ここで大事なことはその『決断』には「責任」が伴うことを自覚したうえで『決断』し、自覚しているがゆえに失敗した際にその「責任」を全うしようとする姿勢と、『判断』と『決断』のプロセスにて成功と失敗の経験を多く積み重ねることだと思います。

その一つ一つの経験の積み重ねが、いざというときのプレーの幅を広げるのだと僕は思います。ゆえに選手は、状況次第では“常識的”に“正解”とされ得ない選択肢を『判断』し、強い『決断』を持って実行する「必要性」があるのだと思います。

『多くの物事が整備され解決されているのは、先進国の証であろう。だが、サッカーにおいてすべてが解決してしまっているのは、残念なこととしかいいようがない』
『教育とは、実は人を硬直させるものである』

イビチャ・オシム

次回は実際に試合中に起こっていた現象を例に挙げながら、この『判断』と『決断』について、他国のチームと比較しながら振り返りたいと思います。

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